2009.08.26

090823-SIA評論:大学院留学生、社会人大学院進学者に送る言葉

学生時代、特に留学生時代は収入も無く、夢は一杯あっても将来への不安が付きまとうものです。もっともこれは、社会人になっても、年老いても変わらない事だとは思います。ただ、夢が無くなる分だけ不安が増すかもしれません。

大学院時代、あくまでも目標達成に向けた学習、実力養成が目的ですが、試験終了後、又は時間の区切り区切りに各国の人々と意見交換をするのも重要です。「竹はなぜ強いか!」、地下で地表に出る前に竹の構造的な準備が全て完成され、節があるからです。折り畳まれた梯子の様な節と節の間が急速に伸び成長し、しかも構造上強く、しなやかに真っ直ぐに伸びて行けるのです。

佐々木インターナショナルアカデミーでは、3カ月毎に必ず、期末試験を行い、パーティを行うのはこのためです。パーティ、懇親会は節作りなのです。

又、SIA国際フォーラムは毎週、又各種著名人、専門家の講演会をほぼ毎週開催し、出来る限りその講師を囲む懇親会を行なっているのも、佐々木インターナショナルアカデミーの場で将来のための社会的準備(人間的準備)をし、一週間毎の節を作ってもらうためです。各分野の専門家の話を直接聞き、自己紹介だけであれ意見を交わす事は知的、心理的に社会的準備を整えることになります。そのため何時でも参加できるよう可能な限り費用を安くし、時間も無駄なく運営することを心掛けています。しかし一番大事なことは「参加者が楽しみ、楽しめる事と、自ら自己紹介だけでも発言しお互いの発言、意見交換の経験を積む事」です。

しかし、全てに参加していると参加学生にとっては時間も費用も負担が重過ぎることもあると思いますので、自分の予定に合わせて参加戴けるよう工夫しています。

最後に、サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman)の青春(Youth)の詩を送ります。日本語訳はいろいろな訳が出ていますが、SIA翻訳部による物です。改訂版(Revised)は私の方で年齢部分だけ現代の実情に合わせ変えています。10年ほど前に作ったと思います。

サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman)の青春(Youth)は、若さを称える詩ではありません。現実には老人が好む詩です。しかし私は、「若者が若さに甘え、奢る事無く、地表に顔を出す前の竹の様にその自覚と覚悟を持って人生と向き合っているかを問う」詩だと私は思っています。このため、詩としては余りに理念過剰の両肩に力の入り過ぎた詩であるにも関わらず、この詩を評価し皆さんに送ります。

時代は変わります。1970年当時、名古屋大学で国立大学授業料値上げ反対闘争で荒れていた学生大会で私は「私学の学生に比べ国立大学の学生が如何に恵まれているかを考えるべきである。旧制帝大に入学している人々の家庭の平均年収は、一部の特殊な私学(慶応、早稲田、その他医学部、芸術系大学等)を除き、私学で学ぶ人々の家庭の平均年収より多いはずだ。将来のあるべき姿は誰でもが自らの働いた収入で大学、大学院で学べる時代を作る事だ」と論じ、激論を戦わせた事がありました。

社会正義を声高に論じ、弱者救済を叫ぶ当時の若者は、私から見ると「本能的に自らの特権を守るために知的言葉で自らを騙し、世間を騙している集団」に過ぎませんでした。こういった若者の醜悪さに辟易した私自身は大学の卒業迄の3年間新聞配達(毎日新聞社代配配達員)で生活費を稼ぎ卒業しました。米国の大学院ビジネススクール(ノートルダム、シカゴ大学)も自ら稼いだ自己資金だけで入学し、学び、卒業しました。しかし、1960,70年当時は余程の実力、体力のある人で無いとこういったことは不可能でした。まして1980年前後米国のトップビジネススクールで学ぶことは絶対的と言っていいほど不可能でした。

時代は変わり、今や佐々木インターナショナルアカデミーで学んだ人々が実践し、証明している様に「働きながら学び、働いて蓄えた資金で大学院で学ぶ事」が可能な時代となりつつあります。皆さん、是非頑張って下さい。しかし、出来る準備をし、あらゆる努力をし、それでも追いつかない時は、世の支援を求め、周りの人の支援を求めることを躊躇する必要はありません。その時は堂々と支援を仰ぐことです。(佐々木インターナショナルアカデミー 佐々木 賢治)




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