2006.06.10

世の中でそれぞれの人が一家言を持ち、その重要性をほとんど全ての人が認識し、しかし具体的な話となるとなかなか一致を見ない問題が幾つかある。

その中でも教育の重要性ほど頻繁に語られ、尚かつ具体論となると共通認識に達する事が難しい課題は少ない。ここに、教育の普遍性と難しさがある。この教育問題の中でも大きな論争の一つは創造性、独創性教育である。日本人の独創性の欠如についての議論が長年戦わされて来た。


独創とは置かれた状況の中で、他人に頼ることなく、又既知の方法、先入観に囚われることなく自ら相対する事に尽きると私は思っている。言い替えれば、独創、創造とは知的なギリギリの戦いをした者のみが達することの出来る、試行錯誤と、一瞬のひらめきと運によって生まれた結果、到達点である。創造性、独創性とは創造や独創を産みだす性向である。しかし、その結果が社会的に認められ、評価されるためには独創性や創造性の結果が長年に渡り社会が求めて来た物、言い替えれば社会が受け入れ評価する物でなければならない。

この当然の理からして、独創性はそれを評価する社会に於いて初めて市民権を持ち、育つ物である。「独創とは置かれた状況の中で、他人に頼ることなく、又既知の方法、先入観に囚われることなく自ら相対する事に尽きる」と述べたが、このゆえに独創性とは多かれ少なかれ、人それぞれに誰にでも宿っている。しかし、この独創性が育てられ、発揮されるためには、それを評価する人と社会が必要なのである。

この意味で、最近非常に感動した文章に出逢った。西沢 潤一氏(首都大学東京学長)の対談記事である。2006年5月30日の日経新聞朝刊1面の「日本を磨く」と題した対談記事である。私のこの拙文を読んでいる方のために、その一部要約し引用したい。

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国内にも独創的な研究の芽はいろいろある。これを見つけだし、適切な研究者に継続的な投資をすれば、実を結ぶ物が必ず出て来る。…・問題は国内に独創性を尊ぶ気風が乏しいことだ。他の研究者と似た研究で研究資金を獲得しようとしたり、ひどいときには嫉妬心から先行者の足を引っ張ったりする。研究開発というオリジナリティーが最も重要な世界で横並び主義がまん延して、独創の芽を潰している。…・(「独創性を発揮させる良い方法があるか?」の問いに対して)良い方法がある。文部科学省の倉庫には大学などが申請した研究テーマに予算を付ける際の評価結果の書類は何年分も眠っている。それをひもとけば、過去に誰が適切な評価をしたのかわかる。鑑識眼のある人に評価を任せ、有望と思われる研究テーマに資金を優先的に配分する事である。*********

最も、この日経の記事は「日本の経済的競争力向上のためには何が必要か?」を問う一連の記事であり、実用重視の産業化可能な技術に対する評価を前提に議論がされていると思われるので、一部には本当の独創性とは、といったそもそも論から始まる様々な異論はあると思う。又あっても良いと思う。しかし、この対談記事は「独創性、教育、評価」の相互の因果関係を適切に“えぐり出し”、既存の“日本の人材と制度とシステム”を応用し“独創的な技術を育てる具体的な手法”を提案している実務的な提案である。実に独創的、具体的提案である。

とかく日本の教育を論じる人々の中には、日本人の独創性の無さを日本文化論、時には農耕民族説まで持ち出して説明し日本の教育を糾弾したがる人がいる。こういった批判をしている人々の創造性のかけらもないと思われる議論に惑わされることなく、今一人一人が直面する問題、疑問に自らが直接立ち向かい、自分自身が納得行くまで考え、行動し、試行錯誤する事が独創性、創造性、個性の第一歩だと思う。こういった姿勢は、私達が生きて行く上で必要な資質であり、本来一人一人が自然に持っている資質であると私は思う。(佐々木 賢治)



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