2007.08.24

今回の朝青龍問題は日本の一般企業、市民にとっても急激に進む国際化に伴い直面する問題に対する良いヒントとなると思い、SIA評論の定期寄稿者、宇田司郎氏にこの朝青龍問題について意見を戴きましたので送ります。参考になれば幸いです。

筆者宇田氏は15年前、1992年に名古屋の地元経済新聞、中部経済新聞の1992年7月15日付け紙面「自由席」欄に「相撲の神話と将来」と題した記事を書かれており、その記事も併せて引用させて戴きました。この二つの記事を合わせ読むと問題点が明快になると思います。ご意見がありましたらSIA佐々木まで送付下さい。佐々木 賢治


070824-SIA評論:朝青龍騒動と相撲の伝統:「相撲の神話と将来」

今回の一連の朝青龍を巡る騒動に快く思っていない相撲愛好家、一般国民は数多いと思う。ただちょっとしたテレビ報道の風向きに右往左往しているのは国民だけでなく、北の湖理事長を初めとする日本相撲協会であり、実に情けない事態である。ただ朝青龍の職場放棄にすぎなかった事件が、相変わらず相撲の神話を基に語られ、ワイドショウで半可通の人々が様々な解説を行い、横綱があたかも人間を超えた神聖を帯びた存在として語られるのを聞くと実に不愉快になる。

今回の朝青龍騒動は単純な話である。朝青龍の横綱としての職務放棄、ファン無視に過ぎない事件である。それも、いかがわしい診断書を提出し、それを口実に職務放棄したという実に単純な事件である。この職場放棄に対して、日本相撲協会がマスメディアによる決定的報道(サッカーに興じる横綱の姿を放映)に接し、国民世論が厳しい反応を示すまで曖昧な事なかれ主義に徹して来た事に今回の問題の本質がある。今回の事例も含め朝青龍の引き起こした問題を明確に整理し、はっきりとした処罰を一関取である朝青龍にこれまで科して来なかった所に問題の本質がある。

正当な理由なく職場を放棄すれば処罰を受け、場合によって降格させられる。理の当然である。ただ日本相撲協会の規則では横綱に降格制度はないのであるから、処罰を受け、それに服しない時には引退を求められてもやむを得ない。それだけの覚悟があるのなら引退すべきである。

これには前例があり、戦後初の横綱、前田山のシールズ事件である。前田山が途中休場した場所中に日米野球を観戦し引退に追い込まれた事件である。このシールズ事件は1949年10月に発生した、「途中休場中に後楽園球場で当時来日していたサンフランシスコ・シールズ(3A)の試合を観戦し、その写真が新聞に掲載され、横綱にあるまじき無責任な行為と激しい批判を浴び、最終的に引退に追い込まれた」事件、である。

大相撲については様々な神話が作られ、大相撲の本当の生の歴史が正しく伝えられているとは言えないので、以前私が地元経済誌に寄稿した一文「相撲の神話と将来」を引用し皆さんの判断の一助としたい。これをお読み戴ければ、これまで小錦を初めとする外国人力士に対して私が高い評価をして来た事を理解戴けると思う。しかし、それだけに私は今回の朝青龍の事件は深刻に受け止めている。日本相撲協会は筋の取った対処をし、世界に本当の意味での日本の相撲について正しい認識を示すべきであると考えている。日本協会の営業としての相撲神話は必要ないのである。(宇田司郎)


中部経済新聞1992年7月15日 自由席 相撲の神話と将来
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大相撲名古屋場所が開催中で、愛知県体育館はすっかり熱気に包まれているようである。相撲ファンの一人として横綱不在、曙、巴富士、若花田の休場は残念であるが、それにもかかわらず、これほどの人気と脚光を浴びていることはうれしい限りである。しかし、この大相撲の人気の陰に歴史的といってもいい転機を迎えているのも事実である。

江戸相撲に始まる伝統ある歴史は、実際には絶えざる革新と時代ニーズの先取りであったのではないか。現在日本で行われているスポーツの中で柔道と並んで日本的であるがゆえに最も国際化の進んでいることもその一例である。しかも、日本の経済力の高まりにつれて職業スポーツとして相撲は外国人にとって魅力ある職業となって来たのである。それにもかかわらず、伝統の名の下に外人力士の横綱昇進に疑問を呈する向きがあるのは、いかがなものであろうか。

そもそも職業相撲としての江戸相撲の歴史は、ちまたで言われているほど、日本古来の神道的伝統に由来しているのではない。田沼意次の追放、松平定信の登場(1778年)とともに始まった風俗矯正、奢侈(しゃし)禁止、財政緊縮(倹約令)の中、相撲興行存廃の危機に直面した吉田追風らが、延命策として、神道的伝統を強調し、諸々の儀式を庶民の娯楽としての相撲に付加し、発展させて来たのが、一面の大相撲の歴史であった。

その後も幾度となく興廃を繰り返し、昭和に入ってもさまざまな人間臭い事件(力士の労働条件改善のためのストライキ等)を繰り返しながら生き残って来たのが大相撲の歴史である。例えばあの有名な双葉山も1932年1月に起こった春秋園事件(注1)がなかったなら果たしてあのような名横綱となりえたか疑問である。

ある意味でこのような人間臭さとそれを克服して来た歴史の中に真の大相撲の伝統と魅力があるのであり、国際的な普遍性を持っているのである。こう言った本当の大相撲の歴史を忘れ大相撲の持つ日本文化の固有性ばかりを強調するのはいかがなものであろうか。

換言すれば、ある意味で相撲界は現在の平均的日本人にとっても実に特殊な世界であり、それゆえにある種の興行的魅力を生み出しているのである。

われわれ相撲界の外にいる日本人より、特殊世界であるがゆえに、その世界で数年生き抜いてきた人々は、たとえ異国の生まれ育ちであってもわれわれ平均的日本人よりも遥かに相撲の伝統を身につけており、将来の相撲界革新のエネルギー源であると私は考えるのである。

もう一つ相撲界の保守性で残念に思うのは、なぜ相変わらず相撲興行を日中に行っているのかである。これでは大部分のファン(テレビ観戦者)にとって相撲の楽しみが半減している。相撲が屋内スポーツであることから考えても、照明設備が進歩した現在、なぜ最後の取り組みが夜九時前に終わるようにできないのであるか不思議でならない。

私には世界で最も長い伝統を持つプロフェッショナルスポーツとして、その興行性のなさは伝統にあぐらをかいたファン軽視と思えてならないのである。(宇田司郎筆)
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春秋園事件:春秋園事件は1932年に起きた、大相撲史上最大の争議事件。昭和7年1月場所番付発表の翌日である1月6日に天竜を首謀者、大ノ里を盟主として発生した事件。天竜は相撲協会改革の必要性を10箇条の項目にまとめ提出、しかしその後の交渉が決裂し西方の関取全員が協会から脱退するに至ってしまった。東方にも脱退組からの勧誘があり多くの力士が賛同して脱退、幕内は東方の11名しか残らなかった。

天竜達が掲げた要求は、力士の地位向上や日本相撲協会の体質改善であり、多くの関取が協会を離脱した。離脱力士が料亭「春秋園」に立てこもったために、この名がある。結果的に力士側の主張はほとんど受け容れられず、離脱した力士の多くは後に帰参した。しかし、後に日本相撲協会の財団法人としての体質が国会で問題になるなどして、その主張自体は正しかったのではないかと、現在まで取り沙汰される。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

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