2011.12.07

SIAの佐々木です。公共性を考慮し、今号はSIA評論を契約講読者以外の方々にも公開します。この中に引用しましたSIA評論2009年10月23日号は2年2ヶ月前にある月刊誌にも掲載されたものです。(講読希望の方メールにて申込下さい。年間定期講読料年6,300円)

111207-SIA評論:大東亜戦争勃発70年に思う:大義無き戦い? 大義が唱道されなかった戦い:仲間内の大義に堕し、世界、公共の大義唱道に欠ける日本?

明日日本時間12月8日未明、米国時間12月7日昼、大東亜戦争開始70年となる。NHKも開戦70年の特集番組を放映している。12月4日午後9時15分開始の番組は「真珠湾から70年」その第二回「太平洋・絶望の戦場」であった。当日その前に午後7時半-9時は「坂の上の雲:第三部」の放送であったので、戦争と歴史を考えた人も多かったと思う。

日露戦争に於ける日本の外交と大東亜戦争における日本の外交には大きな違いがある。日露戦争において日本は対ロシア戦略において中国との共同戦略を敢えて避けた。アジアと西洋の戦いと列強諸国に認識させないためである。それだけの配慮をしてロシア戦を戦い、英国との同盟を維持し、ロシアへのドイツ、フランスの支援を阻止したのである。そこには西洋列強間の利害関係を捉えた強かな政治戦略があった。この辺の事情についてはこの分野の一人者であるIan NishのThe Origins of The Russo-Japanese Warに著しく記されている。司馬史観といわれる該博な知識と歴史観で司馬遼太郎氏は「坂の上の雲」を執筆されたが、小説としての限界のためか日本外交の専門家である英国人Ian Hill Nish(June 3, 1926 - ) のその著書にこの辺の状況描写においては一歩譲っていると私は見ている。


佐々木インターナショナルアカデミー:教育モットーと哲学

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さて、それでは日米戦争ではどうだったか?日本が問うべきであったその戦争目的は大東亜戦争といった呼称がいみじくも示した様にアジアの開放、植民地解放の戦いであったはずである。少なくとも日本が世界に正義を唱え、アジア地域住民への呼び掛る道はここにあった。そもそも当時日本と交戦中であった中国を除き、アジア地区で自治権を持った国はタイを除いてはなく、全て欧米の植民地地域であった。米国のフィリピン地域、英国のインド大陸、フランスのインドシナ地域、オランダのインドネシア地域。このため、大東亜戦争とは、アジアの開放を謳う戦いの呼称であった。かって米国はモンロー主義を唱え、南北アメリカ地域への西欧諸国の介入阻止を図った。しかし、アジア地域への欧米勢力の浸透は長い歴史に支えられ強固なものであった。日露戦争における旅順以上に強固な砦となっていた。

長い歴史により隅々まで浸透していた欧米植民地支配国家、即ち宗主国と被植民地住民による既成勢力の経済的利権と軍事力は強固であり、それに対するには大義が必要であった。大義が浸透するには時間と忍耐が必要である。絶えざる訴え(情宣活動)が必要不可欠である。情報戦の良き事例が第二次世界大戦後の米ソ冷戦構造であり、その戦いである。ソビエトは米国に第二次世界大戦後も軍事力、経済力において劣勢であった。民主主義、自由といった理念においても敗北が明らかとなったのが1980年代である。第二次世界大戦後圧倒的軍事力と、経済力を誇った米国ですら40年を要した戦いである。この間両陣営は共に軍事力強化に励みつつ正義を唱え、イデオロギー戦争を繰り返した。正義を唱え続けながらも、味方陣営の悪しき既存勢力の振る舞いには目をつぶり支援を続けたのが現実であった。余談ながら、この1980年代末の欧米流民主主義の勝利は、やがて中東民主化の嵐として現在に至っている。



仲間内の大義に堕し、世界、公共の大義唱道に欠ける日本?
では、日本の大東亜戦争構想はいかがであったか。大航海時代以来続いたヨーロッパ諸国の侵略、植民地化の嵐は実感として日本社会のみならず、広くアジアでも共有され、欧米植民地主義への反発を強め、自治独立を求める声を強めてはいた。しかし、それを一つの政治勢力として纏め既存体制を打ち壊すには時期尚早であった。更に、その呼び掛けを充分に日本が行ったかといえば否である。その象徴が、「対米公式宣戦布告文書」とされる文書である。

その英文正文文書中には、残念ながら日本人である私が見ても、その正義の唱道は見つける事が出来ない。即ち正義無き「宣戦布告文書」である。日本社会は伝統的に大義を重視して来た社会であると理解しているが、仲間内の大義に堕し、世界への公共の大義に欠けているのは今に始まった事では無い様である。実に残念な思いで今を見つめている。
(111207-SIA評論号2011年12月6日佐々木賢治筆、6日会員へ送信:12月7日公開送付)

以下参考に、2009年10月23日号SIA評論「091023-SIA評論:65回目の敗戦記念日を前に思う、裸の王様 第三回」を全文引用し、その辺りをお伝えする。

091023-SIA評論:65回目の敗戦記念日に思う、裸の王様 第三回
「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」

この記事が掲載される頃には68年目の日米戦争勃発の日を迎えている。65回目の敗戦記念日2009年8月15日を前に書き始め、開戦68周年の2009年12月8日前後に皆さんの目に触れる事となる。

1941年12月8日、「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今8日未明西大西洋において米英軍と戦闘状態に入れり」という言葉は戦後も毎年の様に当時の映像、音声で放映されている。

しかしこの言葉ばかりに注目が集まり、その際のラジオ放送が「日本政府(大日本帝国政府)は米英両国に宣戦を布告した」と伝えたか否かは歴然としない。我々は本当の意味での米英二国に対する宣戦布告文も知らないのである。よく言われている宣戦布告に関する文書とは「米英両国に対する宣戦の詔書」である。米英への宣戦布告が、少なくとも当時の多くの日本国民、政府中枢にあった関係者の心理状況としては、死中に活を求める行為であったと伝えられている。

その公式英文宣戦布告文は「日本の正義を世界に唱え、世界に人種開放、差別撤廃を唱えた英語による名文であった」であろうと思っていたが、この一連の文章を書き始めた2009年8月9日まで目にした事がなかった。1941年当時、日本を代表する英字紙ジャパンタイムズ&アドバタイザー(現在のジャパン・タイムズ)にはその全文が掲載されたであろうと想定したが、どうも見つからない。日本が世界に正義を問う歴史に残る格調高き「英文宣戦布告文」を米英両国に手交していたとしても、英米を中心とする世界メディアは全世界の世論、特にアジア、アフリカを初めとする被植民地地域の人々の共感を恐れ、報道をしなかったであろう。米英両国政府が全文を公開する事もあり得ない。しかし、日本の国内で見つからない事が実に不思議であった。

対米公式宣戦布告文書:正義の主張は英文81語のみ
そこで今回、SIAのスタッフに命じ日本の対米公式宣戦布告文を本格的に探させた所、米国の名門イェール大学のホームページに“Japanese Note to The United States December 7, 1941, Generally referred to as the “Fourteen Part message””(1941年12月7日米国への日本のノート、14部からなるメッセイジとして一般的に言及される)と掲載されているのを発見した。その資料を見ると、このドキュメント文書は日本大使によって国務長官に1941年12月7日午後2時20分に手渡された次のような内容であると記され、頭がメモランダム(Memorandum)となっている。このホームページの文書自体には、先ず簡潔にこの文書を受取った時間的経緯と国務長官ハルがこの文書を受け取り熟読後、激しく野村大使を叱責した言葉が記載されている。この米国の文書の後にMemorandumとあり全文は2,395語、アルファベット文字数12,957字、全4章からなり第3章に5項目が記載され、第4章に7項目が記載されている。この結果14部からなるメッセイジと通称されたのであろう。

この日本の宣戦布告文中で日本の正義(アジア、東南アジアの解放)を唱え言及しているのは第4章の第4項目の第二文目、わずかに81語、399字からなる一文のみである。

これでは「後世の人々にその正義を問う」とは決して言えたものではない。対外的にはこうして始まった戦争。国内では、日本海軍の英雄として名高き山本五十六氏は一戦を交える前から周辺に「半年や一年は大いに暴れてみせるが、その先については責任を持てない」と語ったと伝えられている。戦争に反対する発言意図とは伝えられているが、やはり一軍の将としては軽率な発言である。すでに戦わずして負けている。こういった発言が広まったのは戦後の事かも知れないし、またそういった発言自体存在しなかったのかも知れないが、外部に伝わる場で、もしこういった発言を安易にしたとするならば勇猛果敢な前線指揮官としては面白い人物であるが、全軍を指揮する司令官の器ではない。将の将たるは部下に信頼を与え、いかなる事態に陥るとも、絶えず次善の策を模索し備えることである。

真珠湾攻撃の際の第三次攻撃について、山本五十六連合艦隊司令長官が「南雲はやらんだろう」と答えたと伝えられている。この発言も事実とすると実に軽率な発言である。ミッドウェーの戦いで南雲中将が完璧を期すあまり山口提督の進言を退け敵の襲撃になす術も無かった原因の一部はこの発言の呪縛による可能性がある。将たる者、軽率なる人物評論は控え、人事でもって対処すべきである。

一軍の将には、世界の古今の歴史を見るに人を感動させる雄弁と沈黙、決断が問われる。こう見ると日本海軍の英雄は「裸の王様」となりはて、その伝説に酔いしれた国民は一体何を理解し、見て来たのか? 洋の東西、時代を問わず、「勝てば官軍、負ければ賊軍」である。その厳しさを学ぶことも重要である。

人類歴史の足跡と貢献
しかし、「万事塞翁が馬」。日本の第二次世界大戦における評価については欠落がある。戦後の被植民地地域諸国の独立である。日本は第一次世界大戦後のベルサイユ条約締結交渉の際、国際連盟憲章への人種平等の明記を主張した。その会議に列席した多数派の支持を得ながらも、米英両国の反対で陽の目を見なかった。日本が一部なりとはいえ加担し戦勝した戦後処理で実現しなかったこの理念、アジア、アフリカ、有色人種解放の理念は、奇しくも日本の敗戦後瞬く間にアジア、アフリカに拡がり、世界の知識人を動かし、欧米の植民地主義に苦しんだアジア、アフリカの人々を解放し、大英帝国を実質的に崩壊させ、日本の戦後の経済成長の原動力となり、やがてその人種平等のウネリはアメリカ大陸にも波及し、キング牧師の公民権運動を下支えし、中南米諸国の非白人を助けただけではなく、遂に2009年1月20日、米国で黒人初の大統領オバマ大統領を生むにいたった。本当の勝利者は一体誰であったのか? 人も生物、動物の一種であり、生存競争を勝ち抜いて来た人の歴史は一面戦いの歴史でもある。ここで注意すべきは、「近代人間社会の戦争の勝利とは、単に一戦場の勝敗にあるのではなく戦争目的の達成にある」という事である。

敗戦後64年を経て未だに「勝ち負けにこだわった衣服」を纏った「裸の王様」が闊歩している。
(2009年10月23日SIA佐々木 賢治)
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佐々木 賢治
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