2009.10.26

091023-SIA評論:65回目の敗戦記念日に思う、裸の王様 第三回:「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」

SIAの佐々木です。10月24日にはブルガリアの方を招き「冷戦後の旧東欧諸国」について講演会を開催しました。国際業務のコンビにSIAでは翻訳、通訳、語学教育、人材教育、各国ビジネス情報分析支援のため各国情報の収集と分析を行なっています。

さて、本日091023-SIA評論「裸の王様」第三回を公開します。ご意見、ご感想はSIA迄どうぞ。尚、SIA評論は有料定期購読会員にメールのて配信しています。購読ご希望の方は、SIA事務局まで連絡下さい。

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091023-SIA評論:65回目の敗戦記念日に思う、裸の王様 第三回
「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」

間もなく68年目の日米戦争勃発の日を迎える。68年前のちょうどこの時期厳しい対米交渉が進行中であった。

1941年12月8日、「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」という言葉は戦後も毎年の様に当時の映像、音声で放映されている。

しかしこの言葉ばかりに注目が集まり、その際のラジオ放送が「日本政府(大日本帝国政府)は米英両国に宣戦を布告した」と伝えたか否かは歴然としない。我々は本当の意味での米英二国に対する宣戦布告文も知らないのである。よく言われている宣戦布告に関する文書とは「米英両国に対する宣戦の詔書」である。米英への宣戦布告が、少なくとも当時の多くの日本国民、政府中枢にあった関係者の心理状況としては、死中に活を求める行為であったと伝えられている。

その公式英文宣戦布告文は「日本の正義を世界に唱え、世界に人種開放、差別撤廃を唱えた英語による名文であった」であろうと思っていたが、この一連の文章を書き始めた2009年8月9日まで目にした事がなかった。1941年当時、日本を代表する英字紙ジャパンタイムズ&アドバタイザー(現在のジャパン・タイムズ)にはその全文が掲載されたであろうと想定したが、どうも見つからない。日本が世界に正義を問う歴史に残る格調高き「英文宣戦布告文」を米英両国に手交していたとしても、英米を中心とする世界メディアは全世界の世論、特にアジア、アフリカを初めとする被植民地地域の人々の共感を恐れ、報道をしなかったであろう。米英両国政府が全文を公開する事もあり得ない。しかし、日本の国内で見つからない事が実に不思議であった。

対米公式宣戦布告文書:世界に向けた正義の主張は英文81語のみ
そこで今回、SIAのスタッフに命じ日本の対米公式宣戦布告文を本格的に探させた所、米国の名門イェール大学のホームページに“Japanese Note to The United States December 7, 1941, Generally referred to as the “Fourteen Part message””(1941年12月7日米国への日本のノート、14部からなるメッセイジして一般的に言及される)と掲載されているのを発見した。その資料を見ると、このドキュメント文書は日本大使によって国務長官に1941年12月7日午後2時20分に手渡された次のような内容であると記され、頭がメモランダム(Memorandum)となっている。このホームページの文書自体には、先ず簡潔にこの文書を受取った時間的経緯と国務長官ハルがこの文書を受け取り熟読後、激しく野村大使を叱責した言葉が記載されている。この米国の文書の後にMemorandumとあり全文は2,395語、アルファベット文字数12,957字、全4章からなり第3章に5項目が記載され、第4章に7項目が記載されている。この結果14部からなるメッセイジと通称されたのであろう。

この日本の宣戦布告文中で日本の正義(アジア、東南アジアの解放)を唱え言及しているのは第4章の第4項目の第二文目、わずかに81語、399字からなる一文のみである。

これでは「後世の人々にその正義を問う」とは決して言えたものではない。対外的にはこうして始まった戦争。国内では、日本海軍の英雄として名高き山本五十六氏は一戦を交える前から周辺に「半年や一年は大いに暴れてみせるが、その先については責任を持てない」と語ったと伝えられている。戦争に反対する発言意図とは伝えられているが、やはり一軍の将としては軽率な発言である。すでに戦わずして負けている。こういった発言が広まったのは戦後の事かも知れないし、またそういった発言自体存在しなかったのかも知れないが、外部に伝わる場で、もしこういった発言を安易にしたとするならば勇猛果敢な前線指揮官としては面白い人物であるが、全軍を指揮する司令官の器ではない。将の将たるは部下に信頼を与え、いかなる事態に陥るとも、絶えず次善の策を模索し備えることである。

真珠湾攻撃の際の第三次攻撃について、山本五十六連合艦隊司令長官が「南雲はやらんだろう」と答えたと伝えられている。この発言も事実とすると実に軽率な発言である。ミッドウェーの戦いで南雲中将が完璧を期すあまり山口提督の進言を退け敵の襲撃になす術も無かった原因の一部はこの発言の呪縛による可能性がある。将たる者軽率なる人物評論は控え、人事でもって対処すべきである。

一軍の将には、世界の古今の歴史を見るに人を感動させる雄弁と沈黙、決断が問われる。こう見ると日本海軍の英雄は「裸の王様」となり、その伝説に酔いしれた国民は一体何を理解し、見て来たのか? 洋の東西、時代を問わず、「勝てば官軍、負ければ賊軍」。その厳しさを学ぶことも重要である。

人類歴史の足跡と貢献
しかし、「万事塞翁が馬」。日本の第二次世界大戦における評価については欠落がある。戦後の被植民地地域諸国の独立である。日本は第一次世界大戦後のベルサイユ条約締結交渉の際、国際連盟憲章への人種平等の明記を主張した。米英両国の反対でその会議に列席した多数派の支持を得ながら陽の目を見なかった。日本が一部なりとはいえ加担し戦勝した戦後処理で実現しなかったこの理念、アジア、アフリカ、有色人種解放の理念は、奇しくも日本の敗戦後瞬く間にアジア、アフリカに拡がり、世界の知識人を動かし、欧米の植民地主義に苦しんだアジア、アフリカの人々を解放し、大英帝国を実質的に崩壊させ、日本の戦後の経済成長の原動力となり、やがてそのウネリはアメリカ大陸にも及びキング牧師の公民権運動を下支えし、中南米諸国の非白人を助けただけではなく、遂に2009年1月20日、米国で黒人初の大統領、オバマ大統領を生むにいたった。本当の勝利者は一体誰であったのか? 人も生物、動物の一種族。生存競争を勝ち抜いて来た。人の歴史は一面戦いの歴史でもある。戦争の勝利は、一戦場の勝敗にあるのではなく戦争目的の達成にある。

敗戦後64年を経て未だ「勝ち負けにこだわった衣服」を纏った「裸の王様」が闊歩している。(2009年10月23日SIA佐々木 賢治)
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佐々木 賢治
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2009.09.20

継続は力なり:日本に必要な人材を育てる佐々木インターナショナルアカデミー

継続は力なり:日本に必要な人材を育てる佐々木インターナショナルアカデミー

SIAの佐々木です。先月8月26日ブログに公開しました「SIA評論:65回目の敗戦記念日に思う、裸の王様」の続編第二回を本日SIA評論定期購読者以外の方にも公開します。ご意見、ご感想はSIA迄どうぞ。SIA評論定期購読ご希望の方は、SIA事務局まで連絡下さい。

090918-SIA評論:65回目の敗戦記念日に思う、裸の王様 第二回

東郷平八郎の言葉として有名な「百発百中の砲一門は百発一中の砲百門に勝る」に代表される海軍にびまん瀰漫した誤った精神論について触れ、「こういった思想が結果的に一機必殺の特攻戦術となり、軍事戦略上愚行とされる、戦力の集中使用を妨げる結果となった」と先月号で批判した。

日本海軍 400時間の証言:海軍あって国家なし
「この海軍の誤った思想は、単にもうろく耄碌した東郷平八郎だけの問題ではなく、これまで善玉とされて来た海軍にその多くの問題があった事が、初めて大衆に明らかにされたのがこの2009年8月9日のNHKスペシャル「海軍400時間の証言」であった」と評価しつつも、この番組を見ても「未だ納得のいかない数々の事例がある」と引き続き書く事をお約束した。

戦後、海軍関係者はしきりに米国駐留軍関係者に働きかけ、その幹部の多くがやがて、警察予備隊、自衛隊に職を得たのは公知の事実である。旧陸軍幹部が徹底的に公職から遠ざけられ、警察予備隊、自衛隊に職を得る事が適わなかった事実と対比して見ると実に面白い。死人に口無し、権力の座にある者は語る。有利に語る。

「海軍400時間の証言」で語られたと伝えられた内容は、「なんら自存自衛、アジアの開放について語られる事が無かった。海軍軍令部の杜撰な作戦計画。軍備、装備の作文された辻褄合わせに終始していた」であった。戦後軍令部関係者が密かに集められ「極東軍事裁判で、海軍の上層部の人間を如何にして守るかに叡智と組織力を結集させた」との証言。さらに「1933年の軍令部令改正の経緯、9年間と異常に長く軍令部総長に君臨した伏見宮博恭元帥の役割、1940年から軍令部で開催された第一委員会」について語られ、「軍令部の主たる任務は作戦立案だが、政治に走り、作戦計画が杜撰なだけでなく、開戦に備えた長期的作戦は立てられていなかった」との証言。「ミッドウェー作戦が短兵急ないい加減な作戦計画であった」と多くの関係者の証言が報じられた。しかし、肝心のミッドウェー作戦がなぜ急遽立てられたかについては今回のNHKの放送では触れられる事が無かった。元々の「海軍400時間の証言」の中に言及されていなかったのか、NHKの編集段階でカットされたのかは不明である。

歴史評価
人の記憶は実に不確かな物である。戦後35年の年月を経て、11年の時間を掛け(1980-1991年)語られ、纏められたとされる証言は貴重な物であり、関係者の熱意には敬意を表する。第二次世界大戦に大敗を喫した日本、特に日本海軍関係者がその敗因を分析するこの試みは壮挙と言ってよい。しかし、そこで語られていたのは、基本的に戦争に入った事自体の愚かさが中心であった。戦争に入った事自体を反省するのが目的であれば事は簡単である。しかし、戦わざるを得ない状態での戦略、組織運営についての言及が皆無であったのは「語られる事が無かったのか?」、あるいは「語られたが、今回報道されなかったのか」一般視聴者には解らない。

何れにしてもこの「海軍400時間の証言」番組で伝えられた多くは「軍令部の本務(海軍全体の作戦・指揮を統括)を忘れ政治に走り、ずさん杜撰な作戦計画と長期戦略作戦計画なき実態」であった。そしてNHKの報道が伝えた言葉は、要約すれば「自らの組織擁護と権益拡大のみを考えた海軍、軍令部、第一委員会」であり、「海軍エリートの無責任な行動、判断が多くの犠牲者(日本人約300万人、更に多くのアジア人)を生んだ」と結論付け、「組織の中で生活する事を余儀なくされる我々現代人もこういった組織保存、自己保存のため同様な過ちを起こす危険性を否定できず、又それを防止できる自信も私には無い」と伝え締めくく括っている。

この番組は衝撃を視聴者に与えたと思う。戦後35年経過後の今から約30年前に始まり、11年間続き、約20年前に終了した勉強会。証言者は何れも海軍中枢にあった人々である。仮に終戦時40歳としても75歳。70代、80代の人々が往時を振り返り語った物語、歴史証言である。これまで書物として一般向けに刊行された「目撃者が語る昭和史」(新人物往来社 全8巻)、その他目にしては来た者として虚しさを感じた。後知恵と言う言葉がある。この証言記録自体が後知恵であり、又番組の総括的なコメント自体、65回目の敗戦記念日を前にした現在的視点からの後知恵である。反省会、報道とは本来そういったものであり、それ自体悪い事ではない。

虚しさを感じた理由は二つある。反省会が開かれた1980年―1991年という時代背景、日本の置かれていた時代背景である。エズラ・ヴォーゲルハーバード大学教授が1979年「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本を出版し、「戦後の日本経済高度成長に着目し、このまま推移すれば日本はやがて世界一の経済大国となる」と日本が誉めそやされた時代である。1970年代末まで戦後一貫して日本社会に対するペシミズムが幅を利かせ、日本経済についても将来についても絶えず批判的な言辞が日本に満ちていた。米国の未来学者、軍事理論家ハーマン・カーン氏が1970年に「超大国日本の挑戦」を著し21世紀は日本の世紀と述べたが、日本国内ではほとんど信ずる者が無かった時代である。その書で彼は「2000年頃に日本の国民一人当りの所得がアメリカと並び世界一のレベルに達する」と述べ、これは大幅な円の切り上げもありドルベースでは1980年代には既に達成された。(当時は余り喧伝されなかったが「軍事的にはアメリカの、経済的には中華人民共和国の影響下に置かれる」と予想したとされる。Paul Kennedyが1987年その薯、大国の興亡で1500-2000年に至る大国の経済的、軍事的興廃を鳥瞰し述べている様に、経済大国は軍事大国化、軍事大国は経済力なくしては継続できない事は歴史的事実であるので、カーン氏の本当の意図、警告が那辺にあったか?)

何れにしても1970年代後半―1990年代初頭に掛けては、ハーマン・カーン氏やエズラ・ヴォーゲル氏が示唆した様に当時は「停滞していた米国への苛立ちと反省、日本経済に対する畏怖と警戒」が米国知識で語られ始めた時期である。日本社会の意識が大きく変わった時代である。

私は「良きに付け悪しきにつけ時代も社会も、その時々の社会の共通認識に沿って短期的には動き、時には左右にぶれながら、前進後退、上昇下降運動を繰り返しながらも進んで行くものである。」と見ている。

この時期(1980-1991年)に纏められた「海軍400時間の証言」。証言終結から20年近く経た現代2009年8月の65回目の敗戦日に合わせ放映されたこの番組。その時々(1980-1991年当時)の社会の共通認識に沿って記憶が再編成され証言となり、2009年の社会の共通認識に沿って編集され放映された事になる。その過程で、どれだけ客観的に当時の記録と照合され、自らの証言記録と報道時点における時代風潮の影響を最小限とし、本当に歴史から学ぶ努力が十分に払われたか? どの様に400時間の証言が記録され、更にどの様に約3時間の番組に纏められたかは関係者の叡智と良心を信ずる他は無い。

海軍の第二次世界大戦、大東亜戦争問題
歴史を戻す。第二次世界大戦、大東亜戦争時の海軍の問題である。海軍の戦争は実質的にミッドエー戦で終わっていたのである。

1942年6月5日から7日にかけて行われたミッドウェー海戦(Battle of Midway)は当時太平洋上に展開中の日米海軍兵力を比較すれば一目瞭然、勝つべき戦いであった。しかし結果は惨敗、完敗。その損害は、米海軍は航空母艦1隻、日本海軍は主力航空母艦4隻、及び全艦載機喪失。この結果海軍はその後米海軍に圧倒され続ける事になる。時に地名が予言的響きを持つ事がある。ミッドウェーと言う小さな島が中道、折返し点となったのである。

私は、この戦いについて1960年製作の日本映画(東宝)、「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」を片田舎の映画館で見た。後続する戦艦部隊旗艦大和艦上の三船敏郎扮する山本五十六が「航空母艦4隻からなる攻撃部隊敗北」の報に接し、戦場に向け全力進行を命じる姿を見て「このオッサン、馬鹿か」と思った。攻撃部隊が敵の攻撃に晒され全速進行を命じるのであれば最初からなぜ隊列を組んで行かぬ。小学生の頭で解る事であった。裸の王様である。しかし未だに山本五十六は名将として持て囃されている。その後海軍はこの大敗を隠蔽し、誇大戦果報告で国民、陸軍を騙し続けることになる。

更に愚かな海軍の作戦は沖縄菊水作戦、戦艦大和の特攻作戦である。戦艦大和を奉じたドラマでは、大和乗船各軍人の悲壮な奮戦が描かれている。しかし余りに違いすぎる現実があった。1945年4月7日、この作戦で日本海軍は大和を含め6隻の艦船が沈没、4隻が損傷、戦死者は3,700名を超え、負傷者も500名近くに上ったと伝えられる。米軍の損害は、わずかに艦上機40機(被撃墜10機、着艦後放棄5機、海上墜落5機、損傷20機)。撃墜されたのはわずかに10機、戦死者は14名、戦傷者は3名と伝えられている。戦艦大和で描かれるこの悲壮感は、撃墜機わずかに10機という事実を知らなければ、ある意味甘美なものである。事実、未だに日本社会の心象劇場では宇宙戦艦ヤマトとして返り咲き今に伝えられている。斯く言う私も愚かなその一人である。

一将功成萬骨枯:大将の愚は罪悪
この菊水作戦を厳しく批判した日本海軍最後の海軍大将井上成美は「もはや戦艦は飛行機の敵ではない。米軍の士気を高めるだけだ。第二艦隊の面目を言うのであれば面目の道連れになった何千もの将兵が可哀そうとは思わないのか」と軍令部次長小沢治三郎を詰問したと伝えられる。

敗戦後、敗戦時の軍令総長であった豊田副武氏を初め、海軍中枢にいた人物は誰一人として「面目のため責任を取ったり、自決した」とは聞かない。9月4日ミズリー号艦上での降伏調印式すら海軍のトップは逃げた。その海軍が戦後の極東軍事裁判では組織を挙げて海軍上級幹部A級戦犯の救命に奔走し、そのためには実戦部隊の下級兵士のB級、C級戦犯の命を犠牲にする事も厭わなかったと伝えられる。将に「一将功なって、万骨枯る」、否「一将天寿を全うし、万骨枯る」である。(佐々木 賢治)


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以上ご参考です。

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2009.08.26

090812-SIA評論:65回目の敗戦記念日に思う、裸の王様 第一回

SIAの佐々木です。今年もお盆の時期も連日事務所で過ごし、皆さんから依頼の契約書の翻訳、問い合わせの調査、英語講座の授業の傍ら、いろいろな文章を纏めていました。

その一文を8月12日に纏め会員関係者には送付いたしました。本日、SIA評論定期購読者以外の方にも送ります。ご覧下さい。ご意見、ご感想はSIA迄どうぞ。SIA評論定期購読ご希望の方は、SIA事務局まで連絡下さい。

090812-SIA評論:65回目の敗戦記念日に思う、裸の王様 第一回

65回目の敗戦記念日に思う、裸の王様:第一回いつも思うことがある。愛国心、正義、倫理といった言葉が空虚に語られる危険性である。時代を超えてこういった言葉は空虚に語られてきた。個々の表現を変えて戦前戦後を問わず語られて来た。1970年前後の事であるが、流行った歌がある。「右を向いても左を見ても、馬鹿と阿呆の騙し合い。」といった言葉である。

この歌は、その後「・・・・・どこに男の夢がある。」と続いていた。その当時から既に40年。しかし、人の世は替わらない。当時は、ベトナム反戦、核禁止、沖縄返還が語られ、環境汚染、世界平和、人間愛(ヒューマニティ)が語られていた記憶がある。現在は、温暖化、核廃絶、少子化問題、高齢化が語られている。

愛、平和、友情、人類愛、良心、倫理は人皆、誰でもがそれぞれに持ち、希求する物であるだけに、洋の東西を問わず、時代を超えて常に語られるのは当然のことである。当然の事であるが、それを自らの衣服として煌びやか(キラビヤカ)に着飾り、自らの利益と自己主擁護として使い、他人を攻撃する鎧(ヨロイ)を隠す、衣(コロモ)として利用するとなると事は複雑となり、重要な問題となる。

私なりに学び、調べた戦前(第二次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争)の人々の書籍やマスメディアを通じて知る記録や言動、戦中の記録や言動、更に私が多感な青春時代を過ごした1970年前後の時代直接知る人々の言動、書籍やマスメディアを通じて知る記録を辿り(タドリ)、整理し、考える度に「右を向いても、左を見ても」、「戦前を見ても、戦後を見ても」と思わず口ずさむ、己が声に驚かされる。

裸の王様とさか賢しき人々:アンデルセンとイソップに学ぶ
「裸の王様」という童話がある。皆さんも読まれたことがあると思う。この本は、私が1994年に開校した佐々木インターナショナルアカデミーでは当初よりイソップ物語と並んで、英語学習初心者の必読書としている。因みに当方で使っている、教科書では「The Emperor’s New Clothes」となっている。作者はハンズ・クリスチャン・アンデルセン、1805年生まれで11歳の時父親を亡くし、30歳前に執筆活動に入り、1875年70歳にして亡なる迄に156の物語を残したといわれる。因みに当方で使用しているイソップ物語の教科書は、Aesop’s Fablesである。このイソップ物語の著者と伝えられるイソップ(Aesop)は紀元前6世紀、現在のトルコ、フィリジアに住み、奴隷の境遇から身を起こし自由人となり、後に戦場で山腹から投げ落とされ亡くなったと伝えられる。少し話が横道にそれたが、何れも易しい子ども向けの話の中に人生の透徹した真理を伝える、人生の教養と知識を与えた偉大な人物群に連なる人達である。

「裸の王様」の物語、逸話の内容については読者諸兄が既にご存知であると思うので省略する。見栄と欲得を離れ、自分に正直であれば真実が見える。愚者には透徹した真理が見える。かしこ賢い優秀とされる人々が如何にさか賢しらを立て、自らの利害に執着し国を誤らせるかを語っている。王たる者、指導者たる者、保身のために迎合するさか賢しき知者に取り巻かれると如何に危うく、天下に恥を晒し、我が身を危うくし、国を滅ぼし、国民を危機に瀕しせしめるかを語っている。緻密精妙なる言辞、議論が如何に当てにならないかを語っている。2400年の時間を越え、当時小アジアと言われたトルコ、150年前の北欧デンマークの地理を超え、更に言語、生活習慣、文化を超え、偉人達の知恵から学ぶことが出来るのは実に恵まれたことである。

彼らの言葉は、政治学の父と言われるマキャベリ(ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolò Machiavelli, 1469年-1527年))が君主論(1516年献上、彼の死後1532年出版)で当時の西欧社会で知られている古今の英雄、君主、統治者の事跡、記録を比較分析する形で君主に伝えようとした提言の真髄、一部が一般庶民に語られているのである。特に私が好きなマキャベリの君主論の一説は「死の危険が遥かかなたにあり、国が安定し君主が繁栄を謳歌し、何らの助けも必要としない時、君主のためならばいかなる犠牲も省みず、死も恐れず支援に駆けつけると声高に叫ぶ多くの臣下、武将。しかし、一端国に危機が迫り、本当に君主が助けを必要とする時、そういった人々は瞬く間に逃げ去ってしまう。」との指摘である。こうも明らさまに真実を指摘されてしまうと、多くのさか賢しき人々は保身のためにも、彼の言説をマキャベリズムと言って切り捨て、反道徳的、人倫に反するとして非難せざるを得まい。特にこの現象は日本の知識層に多い現象と指摘されるが、日本に限られている訳ではない。

日本海軍の精神主義:軍神東郷平八郎の呪縛さて振り返って、日本の第二次世界大戦前後の日本社会である。日露戦争の英雄とされる東郷平八郎の言である。「百発百中の砲一門は百発一中の砲百門に勝る」と伝えられる言葉がある。実際に図上演習を行なうまでも無く、両軍が睨み合いイザいっせいに先端の火蓋が切って落とされたならば、瞬時にして明白である。百発百中の砲一門は百発一中の砲百門の百発の砲弾を受け沈黙し、百発一中の砲百門は百発百中の砲一門のただ一発だけの砲弾を受けて一門が沈黙し、残った99門がその後活発な砲弾の雨を降らせ続ける事となる。発射速度が同じとして、100倍の制度を誇っても、10倍を超える砲門に対することは不可能である。実際の戦闘では砲一門ということは有り得ないので、狙った砲には当たらず、隣の砲に当たる事も頻繁であるので、更に不利な状況が生じるのである。

昭和に入っても尚、東郷平八郎のこの言葉が、大手を振るって語り継がれたという事自体、実に戦略的な思想に欠け、精神論に走った海軍の体質が見え隠れするのである。本来軍というのは、数学的才能を必要とし、ナポレオンは数学的才能に長けていたと伝えられ、有名なナポレオンの公式がある。その公式とは両軍の戦いにおいて他の諸条件が同じであれば、両軍の兵力の二乗に比例するというものである。「2倍の兵力は実際の戦場では、その二乗4倍の効力がある」というものである。

指揮官の愚は罪悪
東郷平八郎のこの有名な言葉「百発百中の砲一門は百発一中の砲百門に勝る」に代表される精神論、誤った思想が、結果的に一機必殺の特攻戦術となり、軍事戦略上愚行とされる、戦力の集中使用を妨げる結果となったのである。この海軍の誤った思想は、単に耄碌した東郷平八郎だけの問題ではなく、これまで善玉とされて来た海軍にその多くの問題があった事が、初めて大衆に明らかにされたのが、この夏のNHKの「海軍400時間の証言」であった。しかし、その番組を見てもやはり、未だ納得のいかない数々の事例がある。その辺を今後少し、「65回目の敗戦記念日に思う、裸の王様」と題して書き綴ってみたいと思う。

愚かな一発必中主義、愛国の信念・精神論の多弁は愚かな指揮官、愚将の常、陶酔の口舌である。愚将は部下、若者の犠牲的精神とその潔さを称え、国家社会に対する部下の純粋な気持ちを伝える伝承者になる事によって、愚将も又人格者として称えられる構図が出来上がる。この事態を痛切に批判した言葉がある、「一将功なって、万骨枯る」である。この言葉は、中国の人、中国晩唐の詩人曹 松(そう しょう、830年? - 901年?)の言葉「一将功成萬骨枯」である。昔から「兵隊の馬鹿は死ぬだけだが、大将の馬鹿は罪悪である」と言われている。庶民の知恵である。(佐々木 賢治)




2009.08.04

2004年6候補者の公開討論会

2004年6候補者の公開討論会

090804-SIA評論:衆議院選挙、候補者のマニフェスト作りと有権者の投票基準、何を基準に投票するか?

7月21日衆議が院解散され、総選挙は8月18日に公示、8月30日に投開票の日程で行われる。

主要政党のマニフェストは出揃い、各党候補者は走り回っている。各党のマニフェストの中身を吟味、分析することも大事であるが、本当の問題点は「なぜそういったマニフェストを各党が選び、提案しているのか」である。「将来を見据えた構想、政策があり、具体策としてのマニフェスト」であるのか、「世論調査を行い、世論の動向に迎合して人気を得るためにマニフェスト」が作られたのか?

世論後追いをする世論調査政治は、一見すると世論重視は民意の反映に見え、民主主義そのものであると見なす人々もいるのは事実であるが、実に危険な現象である。もし各瞬間瞬時の世論に従う事を持って、民主主義とするならば、国会に巨大なコンピュータを設置し、各国民は端末を身に付け政治を行えば良い事になる。かってはこういった制度は不可能であったが、パソコンですら膨大なデータを高速で処理することが可能となり、多くの国民が携帯電話(端末)を持つ現在、可能な事である。国家の経営である政治においても、ビジネスにおいても、教育においても重要なのは10年、20年を見据えた構想力、ビジョンである。現在日本社会で跋扈し、無責任な風潮を引き起こして入ると批判の多いワイドショー的な後知恵講釈的な政治は是非とも避ける必要がある。

有権者にとってその良い教材となる事例がある。2004年7月の参議院選挙であり、2005年9月の衆議院選挙である。この二つの選挙に私自身が当事者として立候補していたので、私は生き証人であり、公開討論会の場での各候補者の発言を記録し、憶えている。2004年7月参議院愛知選挙区の場合、自民、民主、共産の5候補者は何れも郵政民営化反対であった。私一人が郵政民営化賛成であった。所が、2005年の衆議院選挙、各自民党候補者は全て郵政民営化賛成に変身し、4年後の現在どれほどの議員が郵政問題に対して一貫したビジョン、政策を維持しているかハナハダ疑問である。民主党の議員においても、様々な政策において類似した傾向を示している。日本の安全保障問題、北朝鮮の拉致被害者問題、年金問題、具体的事例を挙げれば枚挙に暇が無い事態となる。

ここは冷静に10年、20年先を見据えた政治家を選び、将来の日本を託すべきと思う。そのためには10年前を振り返って見るのも一方である。

良きにつけ悪しきにつけ日本の政治をこの10年間引っ張って来たのは小泉純一郎氏である。小泉氏は自民党を「ぶっ潰す」といって総裁選に挑み、三度目に勝利した。彼の総裁選挙立候補の言葉通り、今まさに自民党は壊れようとしている。2005年の郵政選挙での圧倒的勝利以降、小泉氏の第三次内閣(2005年9月21日- 2006年9月26日 371日)も含め、この4年間、各総理大臣は何れも1年間しか政権を維持できなかった事になる。

安倍内閣(2006年9月26日- 2007年9月26日)366日、福田康夫内閣(2007年9月26日- 2008年9月24日)365日、麻生内閣(2008年9月24日-2009年9月1日?)が9月1日に新しい政権に取って代わられるとすると、343日となる。計ったように1年前後である。福田内閣は365日であるので1年と思われる方もいるが、この年は閏年であったので1日足りない。ここ1年の麻生総理誕生とその後の麻生降ろしの動きを見、振り返ってみると、この3年間、自民党の各議員は、党内政治においての保身と利権獲得、自らの選挙に勝たんがためにのみ自民党総裁を選び、引きずり降ろそうとして来た様である。

さてここで、8年前小泉純一郎氏の自民党総裁選勝利を報じた2001年4月22日の「010422-SIA評論:自民党総裁選分析」を参考に送り、識者の参考に供したいと思う。今まさに小泉氏の歴史的役割、「自民党ぶっ壊し」が最終場面を迎えようとしているのかもしれない。それにつけても残念なのは勇ましく、「自民党をぶっ壊す」として総裁選に立候補した小泉氏が、その後継自民党候補者として子息を立候補させる事である。(佐々木 賢治)

以下、2001年4月22日の宇田司郎氏の手になる「010422-SIA評論: 自民党総裁選:小泉氏勝利と衆議院小選挙区制度」です。



2009.08.04

010422-SIA評論: 自民党総裁選:小泉氏勝利と衆議院小選挙区制度

2001年4月24日 午後3時半 筆者:宇田司郎
本日4月24日午後2時前に行われた自民党総裁選挙で小泉氏は圧倒的勝利をおさめた。開票結果は以下の通りである。

小泉純一郎 298票
橋本龍太郎 155票
麻生 太郎  31票
無効票     3票
総投票数  487票

いよいよ小泉自民党総裁の誕生であり、小泉首相の誕生となった。今回の自民党の総裁選挙ほど、面白く且つ不可思議なものはない。なぜ橋本氏が破れたかであり、何故小泉氏が勝ったかである?勿論小泉氏の国民的人気、橋本氏の不人気、現在の日本政治に対する逼迫感に一因があるが、もう一つの理由は結論から言えば衆議院の小選挙区制度にその原因がある。1994年の公職選挙法改正によって導入された衆議院小選挙区制である。

マスコミ論調、一般国民の意識としては世論の力であり、当然の結果でろう。しかし旧田中派の流れを汲む橋本派の面々には信じ難い現象であろう? 今回の結果は単に小泉人気だけによるのではない。今回の総裁選挙において党員投票、予備選挙が重要な役割を果たした事は事実である。しかし、かっては河本氏が日大OBを中心に膨大な数の党員を集めたが、党員投票でも大敗を喫している。最後の投票段階で田中派の組織力に破れたのである。その違いは小泉人気もあるが、現在の国会議員の選挙制度にある。

田中角栄氏は派閥政治の天才であった。その政治手法を熟知し、これ迄自民党党内闘争を勝ち抜いてきた旧田中派の面々が見落としていた一点があったのである。衆議院の選挙区制の小選挙区制への移行であり、参議院全国区の選挙制度変更である。それは田中氏自身がかって述べた、選挙制度と派閥の関係にある。かって昭和30年代自民党は八個師団と称される、八つの派閥があった。しかし田中氏は自民党の派閥は5大派閥に収斂すると述べた。その根拠は衆議院の選挙区が当時中選挙区制であり、最大定員の選挙区でも議員定数は5人であったからである。同氏の理解が正しかった事は、その後田中角栄(首相在任期間1972-74)、三木武夫(74-76)、福田赳夫(76-78)、大平正芳(78-80)、中曽根康弘(82-87)各氏が率いる5大派閥が長年に渡り党内勢力争いに明け暮れ、この5人が何れも自民党総裁となり首相となった事で証明されている。この5人が、大平氏急死の跡を継いだ大平氏の腹心鈴木善幸氏も含めれば、実質16年に渡り政権の座に着き、その唯一の生き残りが中曽根氏である。

小選挙区制導入は、通常最大多数党に有利である。それにもかかわらず、自民党の中でも小選挙区制に批判的な勢力があったのは主流派、田中派の支配を嫌ったためである。すなわち、小選挙区制は各党における党内政治力学を根本的に変える事になるからであった。主流派支配の構図が透けて見えたからである。これは田中氏が首相の座に着いた前後から、特に自民党参議院議員の中で田中派の勢力が圧倒的であった事によっても実証されていた。参議院地方区の選挙区はほとんどが1人区であったからであり、それはやがって1983年の参議院選挙からドント式比例代表制が全国区に導入されるにいたり更に拍車がかかったのである。
このため、当初旧田中派の流れを汲む小沢氏、その他旧田中派の面々は小選挙区制導入に積極的であった。自民党の旧田中派による完全支配が可能と見たからである。その導入に警戒的であったのが中曽根氏であった。事実、小選挙区制導入以降、旧田中派は分裂を繰り返しながらも一層力を強大化して来たのである。このため橋本派、及び古賀幹事長は橋本氏の勝利を確信していた。野中氏は勝利を更に強固なものとするため、締め付け、人事すらもちらつかせて今回の総裁選挙を戦ったのである。

ところがここに今回の選挙の落とし穴があったのである。選挙制度改革の結果、主流派支配の傾向は強まったが、各選挙区の候補者は同時に選挙区内における派閥抗争を必要としなくなり、特に現職議員にとっては全ての自民党支持者と如何に付き合うかが重要となってきた。この結果、今回の党員選挙において各派閥の意向はかっての様には各党員に浸透しないだけでなく、各現職議員は次回の選挙を考慮し、自分の属する派閥の意向よりも自民党員、及び各選挙民の、自民党への意向を重視せざるを得なくなったのである。ここに今回の小泉氏の勝利の秘密があり、橋本派の敗因があるのである。

しかし、それにつけてもやはり橋本派の体質を垣間見せたのは、野中氏の発言であった。総裁選挙の最中に、堀内派の支持と引き替えに選挙の議長役である古賀幹事長の留任を打ち出し、報奨人事買収工作を声高に始めた事である。「傲慢なり野中」と言った叫びが当方に迄届いた程である。野中氏が京都で蜷川府知事に対して対決する事で頭角を表した事は良く知られている。京都府庁における蜷川知事、共産党、その支配下の労働組合による横暴は私自身も直接、京都市長選等を通じて目撃した。その功績、泥をかぶる決断力、実行力は評価するが、田中氏の流れを汲む公共工事、利権を後ろ盾とした政治が過去10年の日本の経済を停滞させ、未だに社会的混乱と不安を引き起こしている政治的責任を野中氏を初めとする、旧田中派、建設族議員は自覚すべきである。“君、国売りたもう事なかれ!”である。

景気浮揚策を建前として、一部業界、企業救済策は目に余るものがあり、日本の国家財政に混乱を引き起こし、日本の経済的活力を奪ってきた政策と決別すべきである。この意味において、“ばらまき”とパフォーマンスに終始した故小渕元総理の罪は実に重いものがある。

小泉氏の今回の総裁選期間中の発言を引用すれば、日本が貧困に喘いでいた戦後復興期には政府は無借金で諸施策を講じて来た。繁栄を迎えた1964年の東京オリンピック以降政府は借金を始め、最初の100兆円の借入残高を作るのに18年、200兆円に達するのに更に11年、100兆円増やし300兆円に達するのに5年、更にわずか3年で100兆円増加し400兆円に達しようとしている。豊になれば成る程、金の亡者となると言うが、豊になるに連れ、借金を増やして来たのは田中派を中心とする勢力であり、又それを支えた国民であった事を我々は反省し、思い切った体質の変換を図るべきである。

しかし歴史とは、人の運命とは実に皮肉なものと改めて思うしだいである。橋本氏は私の見るところ、かって最も非派閥的、派閥政治を嫌った人物であり、小泉氏は反田中派の急先鋒、闘将であり実に派閥的な政治家であったと思っているからである。長きに渡り日本社会、日本人は政治に利権を求め過ぎて来た。他人の金で金儲けしようとする体質は、残念ながら善良を自称する有権者、小市民に至るまで蔓延している。この結果が財政赤字であり、不良債権の実質的な国家救済となっている事を果たして日本国民は自覚しているのであろうか? 小泉氏の蛮勇に期待すると同時に国民の理解を求める次第である。

かって若き、アメリカのリーダー、ジョン・エフ・ケネディーは1961年1月の就任演説で国民に呼び掛けている。「国家に何をしてくれるかを求めるのでは無く、国家に何が出来るかを考えて欲しい」 “My Fellow Americans: ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.” 以上。




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