2013.05.20

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2013年5月19日19時40分発信記事:SIAの佐々木です。本日5月19日は依頼されたビジネス相談への対応とSIA生徒への英語講座、米国社会(In the USA)と英国の元首相ウインストン・チャーチル(Winston Churchill)の伝記の指導を行ないました。(日本の英語教育の問題は英語教員も含め読解力の欠如とその自覚の無さにあります。)

さて、少し時間が取れましたので、昨日のSIA国際フォーラム「橋下発言と歴史:歴史的事実と最近の米軍軍隊内の性犯罪増加」も踏まえ5月19日の雑感を送ります。


130519-SIA情報:国際化の要件、自己主張の重要性
第二次世界大戦中の英国首相、Winston Churchillの信念とその主張がある意味で英国を勝利へと導いた。国際社会において重要なのは正しい歴史認識と哲学に裏打ちされた信念と自己主張。Winston Churchillの歴史に学ぶ謙虚さ、若き日に従軍記者として多くの戦場で学んだ知識と深い人間洞察、哲学的理解が多くの歴史に残る名言を産み、英国を勝利へと導いたものだと改めて実感する。

Winston Churchillは、当時の日本とは立場を異にしていたが必ずしも反日ではなく、自国の名誉と安全のためには自らの命、政治生命を賭して主張する信念と見識を持った政治家であった。自国の名誉と安全のためには自らの命、政治生命を賭して主張する信念と見識を持った政治家のいない国、国民は実に不幸である。その悲しき事例が多数の北朝鮮拉致被害者である。

問題が起こってからの対応では対応に限りがある。事前の準備が大事であり、政治の責任でもある。又それは国民の責任でもあるし、マスメディアの責任でもある。如何に自然科学が進歩しようとも自然災害への万難の備えには限界がある。しかし、国と国を巡る問題、社会的問題には歴史に学び、人間への洞察力、哲学を備え信念を持って対処すればある程度未然に防止し対処できる。

今回の一連の橋下発言を巡るマスメディア、政治家、又世論と称してテレビ局が引用する人々の発言には今ひとつ合点が行かぬし、不安になるばかりである。そこで気付いたのが、俗に言う「朝鮮従軍慰安婦問題」に対する誤解と理解の欠如である。

幸い、あるSIA評論購読者の質問に答え、2013年1月7日に纏めた意見がある。それを加筆修正し参考に提供したい。そこには今回、橋下氏が正しい発言をしているにも関わらず、誤解を招いている悍ましい(おぞましい)事実と構造があるからである。こういった事実を世界にもっと主張して来なかった政治家、マスメディア、学識経験者にも大いに責任があると私は考えている。以上。(130519-SIA情報 佐々木 賢治)

皆さんの便宜のため、「130107-SIA評論「朝鮮従軍慰安婦問題雑感」5月18日加筆修正版」を添付しますので参照下さい。

130107-SIA評論「朝鮮従軍慰安婦問題雑感」
2013年1月7日発行、2013年5月18日加筆訂正版

1983年7月、元軍人である吉田清治氏が、戦時中に韓国の済州島で女性を慰安婦として強制連行したと告白する本を出版した。その題名は「私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行」( 三一書房)で実に衝撃的な内容である。

この話に朝日新聞を初めとして、一部マスコミが騙されて飛び付き、慰安婦問題に関し事実無根の間違った情報を記事として掲載した。このため多くの日本人がこの話を真実と思ってしまった。当然の事として韓国のマスメディアや国民も飛び付いた。しかし、その内容は吉田清治氏の創作話であり、裏を取らずに朝日新聞初め、一部マスコミが飛び付き、人道的と事象する人々や一般日本人が飛び付き、更にナチスのアウシュビッツの残虐行為を知る欧米諸国マスメディアの一部が飛び付き恰も真実かの如く流布する事態となった。

因みにこの本が出版され、朝日新聞が飛び付いた当時私は米国在住中(1977-86年)でこの事件当時の日本社会の反応については今一つ不明であるが、正義を謳い、謝罪、懺悔と称してこの告白本を出版し活発な講演活動を行った吉田清治氏に追随し、歴史検証を行う事無く正義謳ったマスメディア、評論家が一時ブームを巻き起こし、時代を引張ったのでは容易に想像できる。実に困ったナイーブなマスコミ、知識人達である。

しかし、真実を求める勇気ある人々がいた。実に有難い事である。この元陸軍軍人吉田清治氏のウソを最初に証明した人々は、実は自らの罪のを告白と称し謝罪、懺悔講演を行っていた吉田清治氏が慰安婦狩りの舞台とした済州島の人々である。この済州島島民々がそのウソを証言し、調査証明した。日本の出版社、マスメディア(新人物往来社、三一書房、朝日新聞、その他)が裏を取らずに「一般婦女子に銃剣を突きつけ強制収用した、日本軍関与の国家的犯罪」として告発、出版、報道した内容。それを事実無根と韓国済州島島民が証明したというのはドラマの様な話であるが、日本のマスメディアの資質を考えると現在もあり得る話で実に恐い。犯罪者は自らの犯罪を隠蔽する事が常識と考えれば、「自らの罪を告白、懺悔する人物の話」に飛び付くのも、又世の常。嘘つきは何処にでもいるが、そのお先棒を担いだ出版社、知識人、マスメディアは未だ自らの無知、注意義務の欠如、間違いを公式に謝罪したとは寡聞にして知らない。怖い話である。

吉田清治氏のウソに飛び付いたマスメディア、評論家も含めた人々に彼らのナイーブ(Naïve:騙されやすい、単純)さを責める前に、時代の風潮、影響もあるので戦後の時代状況を述べて締めくくる。この様な話に飛び付く心理状態が日本人の間にあったのも事実。戦後出版され一世を風靡した五味川純平氏の小説「人間の条件」に日本兵士による朝鮮女性暴行の場面が、その場に居合わせた夫の独白として記載されている。

五味川純平氏(末尾資料参照)のこの小説は「1948年の引き揚げ後、自らの従軍体験を基にして1955年に発表した」とされ、1,300万部を超える大ベストセラーとなり、私も中学時代に読んでいる。仲代 達矢主演の超大作映画(総上映時間10時間)も大ヒットし、その後何度もテレビでも放映され多くの国民の共通認識となっている。これは小説であるがそういった知識、心理状況の中での元陸軍軍人の告白である。

いつの世にも当事者が罪を告白、懺悔する話には人は飛び付く。この辺が強制自白、冤罪を生む要因にとなっているのであるが、実に怖い話である。(130107-SIA評論 佐々木 賢治)

朝鮮従軍慰安婦問題関係ウイキペディア資料:吉田清治氏(文字着色、色づけ等佐々木が一部編集)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%B8%85%E6%B2%BB_(%E6%96%87%E7%AD%86%E5%AE%B6)
吉田 清治(1913年10月15日 - ):は福岡県(山口県とも)出身の元日本陸軍軍人であり作家。強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長。清治は筆名で、本名は吉田雄兎。戦後30年を経て慰安婦問題の嚆矢となる『私の戦争犯罪』を上梓し注目されたが、後に諸調査から創作であることが判明し、本人も認めた[1][2]。主な著作 朝鮮人慰安婦と日本人 -- 元下関労報動員部長の手記(新人物往来社 1977年3月) 「私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行」(三一書房 1983年7月) 吉田証言の実地調査を行なった人物 秦郁彦、尹貞玉

終戦後の1947年に、下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補。129票を獲得したが落選したという経歴を持つ。

1977年に、『朝鮮人慰安婦と日本人』を新人物往来社から出版。その中で、第二次世界大戦中に日本軍人が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にしたなどと証言。1982年には第一次樺太朝鮮人裁判で朝鮮人の奴隷狩りを証言。1983年に、いわゆる従軍慰安婦問題の発端となった『私の戦争犯罪』を上梓した。その後も朝日新聞・しんぶん赤旗などで自身の「戦争犯罪」の告白を展開。韓国にも赴き、講演と謝罪を繰り返した。このような告白、謝罪を行ったのは清治のみであった為、当時、清治は「勇気ある唯一人の告白者」とされていた。

だが、慰安婦狩りの舞台とされた済州島では証言への反論が多数出ることになる。1989年8月14日付の済州新聞には吉田の著作の書評が掲載され、記事中で当時85歳の島民チョン・オクタンは「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが 、当時はそんな事実はなかった」と語り、郷土史家の金奉玉も「1983年に日本語版が出てから何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨した。

その後、1992年3月には秦郁彦が吉田の証言について済州島で現地調査を行ったが、まったく裏付けが取れなかったどころか、当時を知る島民は「この島で人間狩りが起こったら大騒ぎになって誰でも知っているはずだが、そんな話は聞いたことすらない」と証言をした。秦は、先述の記事の執筆者である許栄善との面談の折、許から「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と聞かれ答えに窮したという(秦は『正論』に調査結果を公表[3]、『昭和史の謎を追う』(文藝春秋1993年3月)に掲載し、菊池寛賞を受賞した)。

また、上杉聰は吉見義明・中央大学教授とともに清治と面談した結果、「吉田の証言を嘘と断定することはできないが、「時と場所」という歴史にとってもっとも重要な要素が欠落したものとして、歴史証言としては採用できない」としている[4]。

1996年(平成8年)5月2・9日付の週刊新潮インタビューで、清治は「本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もある。事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃないか。チグハグな部分があってもしょうがない」と『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』中の記述において、「慰安婦狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と認めた。しかし、現実の問題として清治がその著書中から事実と主張する部分と創作の部分とを分離せず、検証が不可能であるために、2007年(平成19年)現在では吉田証言が強制連行の存否において信頼できる証拠として採用されることは、ほぼなくなった。

この吉田証言は日本官憲が女性を徴発したとする今日の韓国人の集団的記憶形成に決定的に寄与したといわれ[5][6]、2012年9月5日にも韓国最大発行部数を誇る朝鮮日報は吉田清治の手記を取り上げ「この本一冊だけでも日帝の慰安婦強制連行が立証されるのに十分である」として再び強制連行の証拠であると主張している[7]。

中国、朝鮮関係問題資料:五味川 純平氏、人間の条件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%91%B3%E5%B7%9D%E7%B4%94%E5%B9%B3

五味川 純平(ごみかわ じゅんぺい、男性、1916年3月15日-1995年3月8日)は日本の小説家。旧満州生まれ。東京商科大学(現一橋大学)に入学するも1年で中退、東京外国語学校(現東京外国語大学)英文科卒業後、満州鞍山の昭和製鋼所に入社。ここで隅谷三喜男と知り合う。1943年召集を受け、満州東部国境各地を転々とした。1945年8月のソ連軍の満州侵攻時には、所属部隊はソ連軍部隊の攻撃を受けて全滅に近く、生存者は五味川以下数名だったという。

1948年の引き揚げ後、自らの従軍体験を基にして1955年に発表した『人間の條件』が1,300万部を超える大ベストセラーとなり、一躍人気作家となる。その後も『戦争と人間』『御前会議』『ノモンハン』『ガダルカナル』など、数々の戦争文学を世に問うた。『人間の條件』や『戦争と人間』はのちに映画化された。
*****************以上。ご参考になれば幸いです。


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