2008.08.29

8月23日第84回21世紀問題研究会報告:「温暖化を文化と国際問題として斬る:環境問題の真実」 講演者 中部大学教授武田 邦彦氏

武田氏の講演は約1時間半に渡り、豊富な科学的資料に基づき講演を戴きました。以下、個々の事例は割愛し、総論的要約(佐々木要約)です。
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「現在とかく騒がれている環境問題、特に温暖化は科学的な定義、客観的証拠に乏しく、学問的とは言えない状態にある。長期的に見た地球の歴史、地球気温、及び大気中の酸素、二酸化炭素濃度を検証すると、ここ150年あまりの二酸化炭素濃度の上昇、都市部での温暖化は一部言えても、地球規模で見た時に温暖化が何処まで進んでいるのか、又それが二酸化炭素濃度上昇による物であるのか、都市化現象によるのか、あるいは太陽活動、その他自然現象によるものなのか十分な精査が必要である。しかし十分な学問的検証がなされていない。特に、温暖化による海水面上昇については、南極、北極の事例も含め、非常に科学的にはいかがわしい論理、検査方法、思い込みによってなされている。」 

参加者から活発な質問がありましたので一例を引用します。
質問 夕張炭坑跡地に二酸化炭素を封入する案が議論されているが、どう思うか?
武田氏回答 旧炭坑跡地に二酸化炭素封印した場合、炭坑跡地の構造上漏出の危険性がある。
司会者(佐々木) 二酸化炭素の地中、海底深くへ封じ込めるという案がとかく素晴らしい解決策かの如く議論されているが、長期的な地球環境の循環、持続可能性を考えると大変危険な、短絡的な行為で、これまで歴史上よく散見された思いつき、愚行ではないか?二酸化炭素を地球環境の中で大気から隔離し、光合成による循環を阻害する事になり、抜本的解決策にならないばかりでなく危険ではないか?
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今回の環境問題の講演会について、関心がありながら参加がかなわなかった皆さんのために、講演者、武田 邦彦氏の了解を得て、ビデオ録画をしました。皆さんにご覧戴けるようホームページに掲載予定です。(ビデオ編集等、ボランティアで協力できる方は協力下さい。)

学士会会報 No871 (2008-?)掲載の武田邦彦氏の記事(81-88頁)、及びサイバー大学学長 吉村 作治氏(前早稲田大学教授)の「環境問題はなぜウソがまかり通るのか 2」に対する新聞掲載書評がありますので希望者は連絡下さい。

参加者への言葉:今回の、講演を通じて学び、啓発された事を、日常の生活、判断に役立てて戴ければ幸いです。当研究会の目的は、先入観や社会的肩書き、権威を超えて、可能な限り真実に近づくための場を提供する事です。今回、武田先生の協力を得て、少人数の、膝を付け合わせる様な状況で、今熱い話題、環境問題について一つの視点を学ぶ事が出来たと評価戴ければ、主催者として喜びとする所です。

当会は商業的な目的ではなく、掘り下げた深い理解を目指す主旨から、通常15名(上限20名)を適正水準と考え運営しています。今回は、希望者が25名に達した時点でお断りを致しました。大変失礼致しました。

既に15年目に入りました21世紀問題研究会(グーグル等で検索を掛けて戴くと当会がトップで登場します)を、更に永続的な研究会とするため、年会員(一般会費 10,000円)、及び運営担当者(無給)を募集しています。関心のある方は連絡下さい。

佐々木 賢治
SIA Inc. Sasaki International Academy

追伸:ウィキペディアへの書き込みを初め様々な形で、武田さんの見解に対して誹謗中傷(無知による誤解)が飛び交っています。このため問い合わせに対して私(佐々木)が私見をメールで述べた物を一部引用します。参考に、更に厳しい言い方をすれば、ウィキペディアの批判的書き込み自体、書き込んでいる人の無知を晒け出している批判も多く見受けました。

1.武田さんが批判している点は、味噌も糞も一緒にした、行き過ぎた非科学的な温暖化論に対する批判です。紙面的、時間的制約から簡潔明瞭に問題点を指摘する必要上細部の議論を省略されている場合があります。(例 3を参照下さい。)

2.この細部の議論の省略は、温暖化を唱える人々が行ってきた議論に一層顕著です。しかし、社会一般が一方に流れて議論している時は、もっともらしく聞こえます。論理の飛躍は、温暖化を唱える人達の議論において一層顕著です。(例 4を参照下さい。)

3.一例を上げますと、森林問題です。森林の成長過程においては二酸化炭素を吸収し、酸素を放出しています。これが永続するかとなると、疑問です。成長した大木は腐ることなくそのまま保存される必要があります。究極的な状態は石炭です。しかし現実には、木は最終的に老化し腐り分解しますので、定常的な状態になると差し引きゼロです。一つの解決策は、成長した木を伐採し、木材として保存する事です。この場合、木は腐ることなく保存され、この伐採された後に若い木が育ち、活発に光合成を行い成長します。この場合は二酸化炭素を吸収し、酸素を放出します。これを現実問題として可能にするには、木造建築を行い、長期に渡り保存する事がもっとも合理的となります。しかしこれにも限界があり一時的な対処法に過ぎません。自然の状態で朽ちさせる変わりに、人間が自然状態での循環による木材資源の分解を待たずして有効活用する行為は環境面から見ると何ら差異はありません。(ただこれまで人間の歴史、営みにおいて地域的に見れば行き過ぎがあり、文明の崩壊となった事も数多くあります。特に環境問題を声高に唱えている国々や、そういった人々が住んでいる多くの地域社会は、コンクリートジャングルとなっています。自ら選んだ結果です。こういった文明国、大都市に住んでいる人ほど温暖化を声高に叫んでいるのは、人間社会のよくある皮肉な現実です。)

こういった部分は、識者には分かり切った部分なので議論において省略されているのではと思います。(少なくとも私は、そう理解しています。) ただし、論争術としては、損です。ただこういった議論を展開するには膨大な時間と紙面が必要ですので、時間的制約で省略されていると思います。ある意味では、一気に結論が見える人の弱点かも知れません。

4.温暖化論者の、もっとはるかにひどい短絡的暴論は数え切れないほどあります。私が最近見た一例を挙げます。温暖化による米の収穫減少といった議論です。これは最近よくテレビニュースで見かける議論ですのでご存知と思います。この議論が本当に正しいとするならば、元々日本より暖かい、台湾や東南アジアでは米は取れていないはずです。 しかし、実際にはタイ、ベトナム、台湾等は歴史的に水資源にさえ恵まれていれば、米の多収穫地域である事はご存知の通りです。ところがこれに対して余り、こういった事実を注釈として付けた議論を聞きません。

これまでの日本は米の北限域で栽培に適した品種改良に注力を傾け過ぎていた面もあると思います。私はこの気候変動に対応した米の品種、農業技術の対応を先ず優先すべきだと思います。(新しい環境に適応するといった前向きの発想がないのは実に残念な事です。) そうすれば、これまでの米作地帯ではより多収穫が見込まれ、又日本の米の北限地域では更に米の耕作地域を拡大する事が可能になります。こういった小学生でも解る議論がすり抜けています。この部分を飛ばして正しい結論を述べているのではなく、過ちを犯し否定的結論に誘導しているのが現状です。(もっとも、ここにも時代の背景があります。今日本では米の余剰が顕著で、一層の収穫増を社会が望んでいるとはいません。)

こういった意見を纏めるのでさえ、2時間程の時間を要します。このため、解っている人間にとって逆に、逐一完璧な議論を展開し、証明する事は大変難しいのが実情です。ところが、結論先にありきの人々にとっては、時代の風に乗れば、それがビジネスになり、経済的に見合う行為ですから、幾らでも時間を使う事が出来、結果として些細な事例、都合のよい部分的現象を列挙し、一見精緻な議論を展開する事となります。以上、佐々木の個人的見解です。ご参考まで。
以下、私が学生時代ある所で述べた意見を参考に付け加えておきます。

「理論的完璧さは、少数意見の中に見られる事が多い。それは少数意見が必ず正しいという事では決してないが、多数派意見は同調者が多いため、その意見が如何に論理の飛躍があり、矛盾に満ちた論旨であっても、素晴らしい意見と見なされ批判の目にさらされる事が少ないからである。人間の言葉を繋いだ論理は、一見如何に緻密に見えても日本庭園の敷石(飛び石)みたいな物で、その間隙を時代の風潮が埋めて一見すると緻密な議論に見えるだけである。ところが少数派意見は絶えず、功名心と功利心に満ちた悪意の目に晒(サラ)されているので些細な欠落も致命的欠陥であるが如く批判されるので、理論的完璧さを強いられるからである。」

21世紀問題研究会 事務局 佐々木 賢治



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