2007.08.10

例年この時期は、8月6日のヒロシマ、8日のソビエトの対日軍事侵攻開始、9日の長崎、更に8月15日の敗戦と歴史を考えさせる事例が続く。しかし大部分の日本人に取っては御盆(盂蘭盆)の時期として故郷に集い、祖先の霊を偲ぶ時期である。生ける物には全て寿命があり、生死は一体であり、死なくして生はなく、破壊壊滅の後に新生があるのも又一面の真実である。生に対する執着と死による断絶。故に人の思いは深くなる。


しかし自然、時の営みは人知を越えている。実に暑い夏も8月7日の立秋を境に確実に平均気温は低下して行く。せめてこの1週間、時に人を思い、若き日を思い、未来を見据えるのに良い時期である。御盆を迎えるにあたり、葬儀における知人の挨拶を引用し諸兄への暑中見舞いと致します。因みにこの葬儀は平成17年8月4日松本で執り行われたものです。

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本日はお忙しいなか、遠いところ、おいでくださいまして有難うございます。

父は昭和初期、江戸指物師、木工芸の前田南斎師に弟子入りし、それ以来、木工芸一筋にやってまいりました。松本に戻り、祖父のあとを継ぎ、指物の仕事をしてしてまいりました。

人生の前半は我々を育てるため、実用的な仕事ばかりしておりましたが、私が社会にでる頃からは、伝統工芸展のようなものにも挑戦しておりました。伝統工芸展で受賞して、三笠宮殿下にご説明したことなど自慢の一つだったようです。腕については素人の私にはよく分かりませんが、こんなことがありました。伝統工芸展に入賞した作品の解説会で、木竹芸で人間国宝だった中台先生が、指物の技を見せましょうかといって父の作った木箱の引き出しをスーと引き出し、180度回転させて、これを、また、スーと入れられました。すると、上下の引き出しが自然にスーと出てきて驚いたことがあります。

また、小さい頃、かんなで削った二つの板を湿らせてから合わせ、これをはがしてみろと言われ、どうしてもはがせなかったことを、今、思い出します。名人であったかどうかは分かりませんが、ひとかどの腕であったことは確かなようです。

我々子供には十分過ぎる教育を残してくれました。にもかかわらず、親不孝ばかりしておりましたが、最後、母と妹と三人でその静かな死を看取ることができたことだけが多少の慰めです。

今後は、父に賜りました御厚情を、特に、残されました母に対してお願いし、ご挨拶とさせていただきます。本日はどうも有難うございました。」
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以上、挨拶、享年84歳一職人の死である。戦後のことでもあり経済的には相当苦労され奥さんがラーメン工場で働き生活を支えられたと聞いた憶えがある。本物の技(わざ)とは実に平凡にして非凡なるものである。又それを見抜く人がいる事は長年の辛苦によって技(わざ)を身に付けた人にとって無上の喜びであろう。それ以上に自らの技量の蓄積に辛苦する戦いの年月が喜びの根源であるのかも知れない。名人の芸とは時に計り知れない物がある。年々歳々声高に繰り返される、素人が素人に説教をするような知ったかぶりのテレビ評論、男芸者の集団のような素人政治にはしばし目をそらし、ここ数日は戦後60年を振り返り、何をなし後生に残すべきか沈思黙考、明日を考え決意したいと思っている。(佐々木 賢治)



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