2008.04.23

080422-SIA評論:光市母子殺害事件判決、中国政府のチベット問題への対応、米国大統領予備選挙

光市母子殺害事件判決
本日、2008年4月22日、光市の母子殺害事件の判決が下った。死刑判決であった。殺害した犯人が犯行当時18歳になったばかりであったという事もあり、いろいろと物議を呼んだ事件であった。

特に今回の事件は、来年5月スタートの裁判員制度や最近話題となっている「被害者参加制度」もあり、多くの国民が身近に感じ、関心を持って見守った判決であった事は間違いがないと思う。犯罪の凶悪さ、犯人の年齢、又家庭環境といった、様々な要素を考える時、一審、二審共に、死刑を求刑しなかった法的判断も理解できる。厳罰を望む国民意識も十分に理解できる。所詮、法律とは最終的には国民の多数の支持無くしては、成り立たない物である。

今回の、死刑判決を圧倒的多数の国民は支持していると思う。私も、一部の迷いを抱きつつも死刑判決を支持する一人である。この迷いは、多分多くの国民が共有し、遺族の方もその迷いは理解戴ける事と思う。

それにもかかわらず、私も含めた圧倒的多数の国民が、結論として迷うことなく死刑判決を支持する気持ちとさせたのは弁護団の荒唐無稽ともいえる、論法であり、その弁護方針に従ってなされたと思える犯人の裁判所での答弁である。今回の差戻裁判が始まるまでは一部迷いを抱いていた国民が、積極的に今回の判決を受け入れる状況を作ったのは、安田好弘氏を中心とする21人からなる大弁護団の弁護方針であった。その主張は、マスコミを通じて入手する限りでは、「母恋しさ、寂しさから抱き付き結果的に殺害となった。更に死姦行為は復活への儀式であり、幼女殺害行為は泣き止ますために首に蝶々結びをしただけ」となる。

実に、愚かな論法であり、この論法以外に今回の犯人を死刑から免れさせる理論組み立てが出来なかったとすれば、狭隘なる法理論に走る余りに民主主義社会の法の基本的精神である国民の納得の行く、理論的、かつ緻密な法解釈といった精神をないがしろにした論法、法律家の傲慢の結果と言える。

同様な、それ以上に強引、傲慢な論法を理路整然と行っている海外の事例を以下2つ紹介したい。一つは元々民主主義など存在しない一党独裁政権国家、中国と世界の民主主義の模範といえる米国に事例である。

中国政府のチベット問題への対応
中国政府の報道官の発表、及び私が垣間見る中国テレビ報道(CCTV)等は実に面白い。世界各国では白日の下にさらされている事実、チベットの弾圧と、自治と民主化を求めるチベット自治区の行為を全て、ダライラマによる国家転覆を目指す陰謀説で実に整然と発表し、報道している。


昨日から本日4月22日に報道されたニュース(因みに中国ではニュースの事を新聞と言う)は、あたかもサルコジ大統領やフランス企業が中国に対して詫び、土下座をしているかの如き報道となっている。日本の餃子事件も、中国側は当初から日中関係悪化を図る悪徳分子による所行といった報道で、中国政府は日本の反中国勢力の陰謀を示唆しているのである。この事件の発覚以降の日本企業、政府の対応も実に歯がゆい物であったが、昨日4月23日の日本のテレビニュースでも報道された、国境無きジャーナリスト団のフランス人ジャーナリストの発言は実に示唆に富む。「日本の政府、国民は如何に無法な、非道な行為が中国で行われようと一切発言しようとしない。仮に中国にたいしてありきたりの発言をしても70年前の話を中国側からされると黙ってしまう。」(因みにそのテレビニュースのテロップの訳は50年前となっていたので、70年と筆者が修正した。この50年は誤訳によるのか、当事者の思い違いか不明。)

1989年6月4日天安門事件、大虐殺事件で国際的批判を浴びた時も、2002年の審陽事件の時も中国はその非を認める事はなく、素晴らしい法治国家としての弁論術を展開した。日本政府は、表だった抗議をしないばかりか、引き続き膨大なODAを供与し続けた。2002年7月12日のSIA評論にも引用された、2002年7月10日日経新聞夕刊、東京大学教授山内昌之氏の「明日への話題」から再引用すると「日本の対中ODAは二国間の供与額で98年には11億5千8百万ドルで第一位、2000年には7億6千9百万ドルで第三位を占めている。しかも日本は諸外国の対中援助のうち6割を供出している。それなのに中国側には格別に感謝する様子もなく……・その上中国は米国向けにはミサイルの照準をはずす一方、日本には未だに照準を合わせたままなのである。ロシアでさえミサイル照準をはずした現実を考えれば、中国の姿勢は異常とさえ映りかねない。……」。

こういった事実を詳細に調べて行くと、中国は異常なのではなく、単に独裁国家、ならず者国家であり、日本社会が異常なのだと気づき愕然とさえられる。チベットで行われた、数々の残虐行為は、民族抹殺戦略ともいえる行為であった。ここで念のため2008年3月20日一部の関係者に配信した、Wikipediaの引用を再引用する。

以下引用***************
中国共産党の率いる人民解放軍は、1949年に始まった毛沢東主導によるチベット国土の侵略以後、その各地に兵力を展開し、武力の行使を行ってきた。その過程において、夥しい規模の破壊とともに、大量虐殺が発生した。

一例として、国際法曹委員会の報告は、1956年の終わりまでに、ほとんどの男性が断種を強制され、同時に女性のほとんどが中国兵による強姦を経て妊娠させられていったという一箇村の状況 数十人の村人が生きながらに焼き殺されたという一箇村の状況 数十人の村人が目に釘を打ち込まれて殺されたという一箇村の状況 などを明らかにしている。[1]

中国は、旧チベットについてのプロパガンダを行なっている。中国によると、旧チベットは僧侶、貴族の専制による暗黒の封建農奴制社会であり、ダライ・ラマは「裏切者」であり、チベット仏教には農奴を人身御供にする習慣があったと主張しており、チベット族の「元農奴」によるダライ・ラマ糾弾演説などが盛んに宣伝された。***************

しかし、現在中国共産党の一党独裁、毛沢東指導の下で2千万を遥かに超えるといわれる虐殺された中国人民、その親族、そういった恐怖の中に今なお暮らす中国民衆の苦難は計り知れない物がある。その苦難と比べれば、チベットの苦難などは中国の大多数の人々にとって知れた事であり、取るに足らない事なのかも知れない。この様に現実を直視すれば、現在の中国国内の動きがより鮮明に見える。ただ暗澹たる思いに駆られる。

米国大統領予備選挙
いよいよ、本日4月22日米国のペンシルベニア州の大統領予備選挙が行われる。時差を考慮すると現地ペンシルベニア州では投票開始の時間である。中国問題で紙面を使いすぎたので簡潔に書く。クリントン候補、並びにその関係者のこれまでの発言、ものの言い様、現在米国ペンシルベニア州で流されているコマーシャルである。オバマ候補に対して、「彼が黒人でなかったら?:If not black?」とした発言に私は興味を覚えた。このロジックである。「オバマ氏は黒人だから脚光を浴びているのであって、白人だったら並の人、とても私(ヒラリー・クリントン)の対抗馬とは成り得ない」といわず語りに述べる戦術である。この発言を耳にした瞬間、私の頭に浮かんだのは、”If Bill Clinton had not been white, he could not have become President of the US.”、ビル・クリントンが白人でなかったら、彼は大統領に決して選ばれる事は無かったであろう。 ヒラリー・クリントンが白人でなかったら、大統領夫人にはなれなかったであろう。ファーストレディーでなければ、今回の予備選挙でも有力候補者となる事は決してなかったであろう。ホワイトハウスの8年間の経験を主張する、元ファーストレディーのコマーシャルにも思わず考えさせられた。これまで多くの人物を見て来た私自身の経験ではリーダーとしての経験は、リーダーのみに帰属するものであり、如何に有能であろうとも、副官の経験は副官の経験に過ぎない。ましてや副大統領でもない、ファーストレディーの経験は、夫あってのものである。このコマーシャルが通じるほど、アメリカ国民、特に白人男性は、愚か(ナイーブ)であろうか。私が長年に渡り、観察してきた米国民主主義とは、こういった論理を支持するほど、脆弱なものであるとは思わない。

オバマ氏は黒人というハンディを、自らの大変な努力と長年の活動により、自らの長所(資産)へと転換していった鋭い先見性と指導力を持った人物であり、大統領としての資質を兼ね備えた候補者と多くのアメリカ人は見ると予期するからである。それが、良くも悪くも米国民主主義の強みであり良さである。中国との違いである。ここまでは、断言できるが、はたして日本は如何にと問われると、思わず沈黙を強いられる。********(2008年4月22日午後6時配信 文責 宇田 司郎)



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